『学問のすすめ』から抜粋する金言

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はじめに

長らくブログを更新していなかった。なんとか生きてます。

学会に向けた要約論文や院試が終わり、今日から大学生最後の夏休みに突入、といった近況。

とは言っても、11月締切の本稿や卒論、9月の海外研修の準備などであまり「休み」感はないのだけど。

それはそうと、最近は一万円札の肖像で有名な福沢諭吉先生のベストセラー『学問のすすめ』(現代語訳版:齋藤孝=訳)を読んでいる。

アクティブラーニングの一環として「多くの現代人が未読の名著ランキング」上位に食い込むであろう本著の個人的金言を抜粋(たまに要約)してみた。

本書は17編から構成されているが、長くなりそうなのでまずは初編だけ。

明治維新直後の新時代に、学問のあり方、そして日本国民としての生き方を切れ味鋭く論じています。


初編:学問には目的がある


自由とわがままの境目というのは、他人の害となることをするかしないかにある。


人が生まれた時から何にも繋がれず縛られず、自由である。

しかし、ただ自由とだけ言って「分限(義務)」を知らなければ、わがまま放題になる。

分限とは、天の道理に基づいて人の情に逆らわず、他人の害となることをしないで、自分個人の自由を獲得するということだ。

自由とわがままの境目というのは、他人の害となることをするかしないかにある。

例えば、自分のお金を使ってすることなら、酒や女遊びに溺れてやりたい放題やっても自由か?

決してそうではない。ある人がやりたい放題やるのは、他の人の悪い手本になって、やがては世の中の空気を乱してしまう。

人の教育にも害になるものであるから、浪費したお金はその人のものであっても、その罪は許されないのだ。


恐れず行動せよ


1人の人間も、一つの国も、天の与えた道理というものに基づいて、もともと縛られす自由なものである。

ゆえに、そうした一国の自由を妨げようとするものがあったら、世界の全ての国を敵にしても恐れることはない。

また、個人の自由を妨げようとするものがあれば、政府の官僚に対しても、遠慮することはない。

天の道理や人の当たり前の情にきちんとあっていることだったら、自分の一命をかけて争うのが当然だ。


ひどい政府は愚かな民が作る


民は、世の中の法律を頼りにして、身の安全を保って社会生活をしている。

しかし、依存するところは依存しておきながら、都合が悪くなると自分の私利私欲のために法律を破る民もいる。

やりたい放題する愚かな民を支配するには、道理で諭しても無理なので、威力で脅すしかない。

西洋のことわざにある「愚かな民の上には厳しい政府がある」というのはこのことだ。

これは政府が厳しいというより、民が愚かであることから自ら招いた災いである。

逆に、良い民の上には良い政府がある。

大事なことは、人としての当然の感情に基づいて、自分の行動を正しくし、熱心に勉強し、広く知識を得て、それぞれの社会的役割にふさわしい知識や人間性を備えることだ。

そうすれば、政府は政治をしやすくなり、国民は苦しむことがなくなり、お互いに責任を果たすことができる。

私(福沢諭吉)が勧めている学問というものは、ひたすらこれを目的としている。

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